胸糞

    497 :キチママまとめちゃんねる 2013/12/15(日) 00:53:43 ID:0wbhCnK3
    病院で受付してた時の話。長文と乱文でごめん。

    休日になると各病院持ち回りで休日当番医って言うのをやってる。
    その日も当番医で、 自分と先輩が一緒に受付。
    この先輩、古株でミスは他人のせい、対応悪い、大きな声で患者の悪口とか平気で言う。
    なので、他の職員も先輩の事が好きではなかった。

    午後になって、ぐったりしてる男の子を連れた男忄生が来て、40℃近く熱があるから診て欲しいとの事。

    先輩が窓口対応したんだけど、
    めんどくさそうに、来るなら先に電話しろ、次の日にかかりつけ医行ったら?みたいな内容を話してた。

    男忄生は 子供が高熱で苦しんでいる。
    かかりつけ医は休みで、調べたら、この病院が当番医で開いていた。
    電話しなくて申し訳無かった。しかし、当番医なのに、診てくれないのか?
    ダメなら院長先生に○○が来た事を伝えて欲しい って言ってた。

    先輩、はいはいって態度で、待合室で待つ様に男忄生に言う。

    815 :キチママまとめちゃんねる 2021/02/10(水) 09:52:38 ID:0H.ut.L1
    4歳のとき、母に捨てられかけたこと。

    私は高齢出産+婚外子のダブルコンボの家庭に生まれた。
    母40,父60の時の子供。

    父は既に奥さんがいるのを黙って「子供ができたら結婚しよう」と話していたのに、出産し終えた母の前に奥さん連れてきて嘘だったと発覚したそうだ。

    でも幼い頃、私は母が大好きだった。
    何かいい事をすると大袈裟なまでに褒めてくれ、抱っこしてといえば抱っこしてくれた。


    下手くそでも歌を歌えばカメラを回して拍手してくれた。

    悪いことをすれば厳しく叱られたけれど、とても優しい母だった。

    ここまでが前置き。

    年末も差し迫った日、母は沢山のレトルト食品を買ってきた。「ママ、出かけるから。お家からは絶対に出ないでね。一人で頑張れるよね。バイバイ」

    と言われ、「いってらっしゃ~い」と答えた。

    それから母は本当に帰ってこなかった。
    翌日も、その次の日も、帰ってこなかった。

    ご飯はレトルトで凌いだが、「ママいつ帰ってくるんだろう」と気が気じゃなかった。

    3日目、私はなんとかして、外の大人と話そうと思った。

    母に言われたとおり家から出ないで話すには、当時は固定電話しかなかった。

    母がよく連絡先をメモしたメモ帳を、電話台の下に置いていたのを思い出した。

    メモ帳を見て、一番最初に書いてある連絡先に電話をしたら電話に出た。

    「私、名前を私子と言って、ママが帰ってこないんです。悪い人に攫われたかもしれないんです。助けてください」

    最初電話口の人は笑いながら「探偵ごっこ?」と取り合ってくれなかった。
    母の勤め先の会社だった。

    「もう27日から帰ってないんです(その日は30日)。お家に一人なんです」

    すると「あのね、探偵ごっこに付き合ってる暇ないからもうかけてこないでね!」と切られた。

    受話器を置くとすぐさま電話が鳴った。
    母の勤め先の、他のおじさんが電話し直してくれた。

    「さっきはごめんな!お腹すいとるだろう!そっちに迎えに行くからまっとってな!」

    そして一時間後、本当に恰幅のいいおじさんが迎えに来てくれた。
    社長さんだった。

    「あいつ(社員)の電話を聞いておかしいと思ったんよ。あの馬廘がほんとごめんなあ。あいつは今他の人からしっかり怒られとるからな」

    と話してくれて、ファミレスをご馳走してくれた。
    美味しくてガツガツ食べた。

    その後緊急連絡先になっていた父と警察に通報。

    父は直ぐに迎えに来てくれ、父の住む家にしばらくお邪魔することになった。
    山の中にある立派なコンクリートの家で、美術品が大量に飾られていた。

    父と一緒に住むお兄さんやお婆さん(奥様。当時60代後半)を見て、父に「この人達誰?パパのお友達?」と聞いた。
    「パパの奥さんと息子だよ。あっちはお前のお兄ちゃんだよ。お前とお前のママより大切な家族だよ」

    とあっさり言われた。
    父は、本当は私が生まれることに反対だったことを話し、もし母が帰ってこなければ一人で生きるよう努力して欲しいと私に話した。



    662 :キチママまとめちゃんねる 2021/03/21(日) 11:09:20 ID:9e.bp.L1
    父が部下に対してパワ八ラしていたこと。
    私にとってはいつも優しい自慢の父だった。喋りも草なぎ剛みたいなおっとりした喋りだった。

    ある休日に家族とお出かけしていた時、ショッピングモールで部下とその家族にあった。
    すると父の声色がいきなり変わって、極道映画に出てきそうな野太い声、腹から出してる声にになった。

    「おいてめえ!何のうのうと生きてんだよw」
    「タヒねよクソがよー!!お前が営業成績クリアしてんの腹が立つんだよ!ほら飛び降りろやw」

    と、相手の家族の前で思いっきり腹に蹴りを入れた。

    相手の奥さんや私の母が悲鳴を上げて止めようとしても、周りの人が振り向いても、父はニコニコと笑いながら何度も毆って
    「お前何いっちょ前にきれいなヨメさん飼ってんだよお!そんな美人勿体ねえよ、○○(多分他の部下)にやれよ」
    などと様々な罵声を浴びせていた。
    部下の人は「痛い痛い、マジでやめてくださいよ!あ、大丈夫いつものことなんですアハハー」と笑っていた。

    部下の人が「それじゃまた明日ー」と家族と去っていった後、「あースッキリしたw私子、行こうか」といつもの草なぎ剛みたいな父に戻った。
    母はそれを拒否して、「タクシーで帰る!」と私を連れて実家に帰ってしまった。

    その後必要な荷物だけ取り寄せて、実家に住むことになってしまった。
    父方、母方の祖父母も含めての話し合いが行われたのだが、父の言い分としては

    「彼はいじられキャラで、それで問題になったこともないから安心して欲しい。部下への態度は改めろと言われても無理。指導の為にもやらなくてはいけない。
    勿論妻子は大切な宝のようなもの、絶対あのようなことはしない。戻ってきてほしい」

    母は

    「あのように人を平気で毆る様を娘に見せた時点で父親失格だ。警察を呼ばなかっただけありがたいと思ってほしい。離婚か別居」

    私は

    「お父さん怖かった。嫌い」

    両家の祖父母も「父が悪い、最低だ」という結論に至り、そのまま別居となった。
    父は泣きながら
    「お前たちを食べさせるために必タヒだったのに、なんで!なんでわかってくれないんだよ~、杀殳したわけじゃないのに~」
    と泣いていて、大好きだった父の面影はなかった。

    お陰で草なぎ剛みたいな穏やかな喋りの男の人がいると身構えるようになってしまった。
    時々父と会った時に話を聞いたが、その後も父はずっと会社に居続け、部下を毆っていた。
    その部下も昇格して指導する役割を担うようになった。
    が、父の影響で部下を毆ったり刃物を押し付けて脅したりするらしい。

    父は「あいつも立派になったよ」と話していて、パワ八ラしている感覚はなさそうだった。

    212 :キチママまとめちゃんねる 2020/12/10(木) 00:49:52 ID:15.ma.L1
    現状どうすることもできないからただの愚痴です。

    結婚前に子供は二人以上欲しいねと嫁と話し合っていたのもあったのでそろそろ二人目を…と持ちかけたところやんわりと拒絶された。
    レスでは無かったしもう少し上の子と間を空けたいのかなと思って詳しく話し合おうとしたら二人目は欲しくないとのこと。
    嫁は子供好きだし、嫁家の三姉妹が仲良かったのと、自分が一人っ子で兄弟に憧れがあったから子供にも兄弟作りたいねって話をよくしていたのに突然のことに困惑。
    もしかして育児がしんどかっただろうか、出産が思ったより辛かったんだろうか。
    そんな素振りを見せなかったから大丈夫だと思い込んでいた自分を恥じた。
    「気が利かなくてごめん嫁ちゃんが辛いなら無理にとは言わないし育児ももっと負担が減るように色々考え直そう」と言ったら嫁が泣いてしまった。
    泣きながら「出産が辛いからでも育児が大変だからでもなくって、自分に似たら困るからもう子供は欲しくない」と打ち明けられた。
    そこからちょっと楺めて「俺はむしろ嫁ちゃん似の子が生まれたら嬉しいよ万々歳だよ」「夫くんはそうでも周りはそう思わないよ」「周りって誰よ?」って話に。
    嫁は最初言葉を濁してたけど、俺がしつこく聞いたら俺の母と姉が嫁の顔についてあれこれ言ってた事が判明。
    嫁姑問題なんて無縁で上手くやれてると思っていた俺は頭に血がのぼってすかさず親に電話で話を聞こうとしたら嫁に必タヒに止められた。
    嫁の顔についてあれこれ言ったのは本人に向けてではなく、両家顔合わせの時に母と姉が裏でこそこそ言ってるところを嫁が挨拶しようと近づいて聞いてしまったらしい。
    要約すると「姉二人は凄い美人なのにどうしてよりにもよって一番のブスが嫁に来るのか」
    嫁の名誉の為に言うと嫁は決してブスじゃない。
    ただ姉二人が目を見張るほどの美人なんだ。
    下品な話だが三人並んでいたら比較してしまうのもやむ無しかもしれない。
    実際嫁は昔から上二人と比較されて育ったらしく、二人のことは大好きだけど容姿の差には強いコンプレックスがあったとか。
    息子が生まれたとき顔を見て嫁が泣いて俺も貰い泣きしたんだけど、感動して泣いたんじゃなくて俺似の顔に安心して泣いたのだと分かって愕然とした。
    「次の子が私に似たら可哀想だからもう産めない。お義母さん達とは表面上上手くやってるから波風たてないで欲しい」と言われてしまい、嫁の気持ちを優先する事にして今のところ黙っている。
    でも俺がやっとの思いで口説き落とした最高の嫁を傷つけて人生設計も破壊した母と姉が憎くて今まで通りに付き合っていく自信が無い。
    腹がたって眠れないなんて初めてだ。

    866 :キチママまとめちゃんねる 2015/07/17(金) 13:16:28 ID:Feq
    台風の来るたびに思い出す人がいる。
    実家の近くに良く居たお婆さん。
    いつも小さな巾着袋を持って、外をうろうろしている。
    巾着袋を持っていて、小銭とポケットティッシュが入っている。
    晴れでも雨でも、暑くても寒くても、昼間は一年中外にいるから日焼けで真っ黒。
    喋っているのは聞いたことがない。

    台風の迫っていたある日、学校から帰る途中でお婆さんを見かけた。
    廃屋の軒先を借りて雨宿りをしているようだったけど、
    もう随分と雨風は強くなっていて、雨宿りの意味があまりないような有様。
    お婆さんはびしょ濡れで震えていた。

    家に帰って、祖母にお婆さんのことを知らせた。
    祖母は少し考えた後、町内会長さんのお宅に連絡を入れ、出かけて行った。
    小一時間ほどで帰宅した祖母は、
    「あなたももう中学生だから、世の中にはこういうことがあるって
    知っておいてもいいでしょう」
    と、そのお婆さんに纏わることを話し出した。

    昔々、隣町の地主の家に娘が生まれた。
    この娘は「頭のゆっくりした子」(祖母談。知的に障碍がある、という意味だと思う)で
    地主夫婦は娘のことをとても心配していた。
    自分たちが世話をできるうちはいい。しかし、親は子より先にタヒぬ。
    自分たちのタヒ後、娘はどうなる?

    地主夫婦は、娘に婿を取ることにした。
    家、土地、資産は娘に全部付けてやる。だから娘を一生面倒見てくれ。
    そういう条件で婿養子を探し、娘を結婚させた。
    娘夫婦は地主夫婦と同居で生活し、穏やかに暮らしているようだった。
    そのまま数十年が経った。

    地主夫婦は随分長生きして娘の面倒を見たが、それにも終わりの時が来る。
    まず妻が、続いて夫が倒れた。
    夫婦ともに、最後まで「娘を頼む」と婿に頼んでいたそうだ。
    婿が葬儀やそれに伴う雑事を取り仕切り、そして、娘夫婦が資産とともに残された。

    234 :キチママまとめちゃんねる 2009/07/17(金) 17:53:19 0
    結婚するときに、母から聞いた話。

    母は田舎の長男に嫁いでしまい、時代もあり朱に交わってエネmeになってしまって数年。
    同居の祖父母に「実家は捨てたものと思え」「電話などはトメの許可を得てするように」と言われ、
    父に愚痴っても「でも結婚ってそういうものだろ?今のお前の苗字はなんだ?」
    と、本当に結婚以来ほとんど実家には帰らせてもらえなかったそうだ。
    母実家の父(私の祖父)が病気に倒れ、介護が必要になっても「お前はうちの嫁」「近寄ることは許さん」で、
    母実家近くに住む母の兄夫婦(実質兄嫁)に全て任せるかたちに(祖母もいたけど、足が悪いので)。

    もういよいよ悪い、というときに、土下座をして「せめてもう一度だけ父の生きている顔を見たい」と
    泣きながら訴えたら、祖父に丸めた雑誌で頭をはたかれた。
    「お前はあの家の人間ではない、○○という男(祖父)とお前はもう他人なんだ」と。
    母いわく「ここで私の中の最後の線が切れた」らしい。
    もうどうにでもなれ、と通帳を探して(お金は、たとえ食料品を買うのでも、トメに頭を下げてそのつど
    手渡してもらう、がルールだったそうだ)次の日にでも実家に行ってしまおう、許可なんかいるか!
    と準備をしていたら、その夜祖父の訃報が飛び込んできた。

    「仕方がないので葬式だけは行かせてやる。感謝するように」と送り出され、実家に到着。
    親戚からの親不孝者!の罵りも受け、介護で疲弊しきった兄嫁を見て、母は遺産の相続を断った。
    兄夫婦は「そういうわけにはいかない」と言ったが、とても受け取ることはできないと。
    (祖父の介護や祖母の生活の面倒の費用なども、当然ぜんぶ兄夫婦に頼りきりだったので)
    (母曰く、遺産を全て兄に回してもきっと足が出ていたはず、だそうだ)
    そして、葬式会場にウトメから
    「うちの嫁がそちらに行ってると思いますが、泊まりは許してませんのでくれぐれも」という電話あり。

    545 :キチママまとめちゃんねる 2014/09/10(水) 04:48:29 ID:cwTM6orVo
    初めて書き込みます。
    不馴れな上にとても長くなっております。
    読みにくかったらすみません。

    わたしが3歳、弟が1歳のときに、母親が失踪しました。
    夕方に出張から父が帰ると、冷蔵庫と藤製の電話台以外の家財道具が一切なくなっており、ぐったりしたわたしと、同じくぐったりした歩行機に乗せられた弟がいたそうです。
    何故母がいなくなったのか。
    事情がわからない父は一人で育てるのが無理だったので(船で遠出をする仕事)、わたしと弟を新幹線で2時間ほどの距離の父方祖父母に預けました。
    これが第一の修羅場です。(主に父が、ですが)

    1 :キチママまとめちゃんねる 2020/01/07(火) 16:02:05 ID:Rm/s6RXH0.net
    なんかワイをいじめてたことを謝りに来たときにいろいろ話して仲良くなってたらしい
    そいつから話聞いたらワイのアッネが好きで付き合いたかったからきっかけがほしくてワイをいじめてたんやと
    んで高校卒業してちょっとしたらふたりが結婚したって連絡があった

    55 :キチママまとめちゃんねる 2017/03/12(日) 01:04:51 0.net
    娘のことが愛せなかったこと。

    私は同居の義母にひどくいじめられていた。
    結婚から5年目に生まれた娘が、見た目も中身も義母に似ているような気がしてちっともかわいくなかった。

    娘が何か失敗する→義母もこんな失敗していたような気がする→やっぱり義母に似ているからだ!みたいな感じで。

    2年後に長男、次の年に次男が生まれると、ますます娘が愛せなくなった。
    義父母は初孫の娘が一番可愛いらしく、すっかり義母の手垢がついたような気がした。
    私の子、というよりは義母にくれてやった子と思うようになった。

    娘が中学生の時に義父がタヒに、翌年に義母がタヒんでからは会話もなくなって、
    そこでグレたのかなんなのか、フラフラ暮らすようになって高校も中退した。

    男を作って家を出て、失敗しては戻ってきてを何回か繰り返した。
    そこも男好きだった義母に似ている気がした。
    最後は大手に勤めてる男を捕まえてでていった。そこもずるい義母に似ているような気がした。
    その男と暮らしていた土地で、娘が車に轢かれてタヒんだ。
    ああ、そうって感じで涙も出なかった。
    救護してくれた人のところにお礼の挨拶に伺うと、
    その女性.が、「娘さんは私の手を握って、お母さん、お母さんと言ってましたよ」と泣きながら言った。
    旦那は泣いていたけど、私はなんだかきみが悪いだけだった。

    娘の彼氏が、娘のつけていたジュエリーや高級カバンを持ってきた。
    私にはそんなもの引き取るつもりはないから、他のものも含めてのらりくらり交わそうとしていたら、
    「あなたは本当にユリの母親なんですか?」
    と詰められた。
    同席していた長男夫婦の嫁のほうも、あんまりだと言って泣き出した。
    結局肩身は娘の友人と、うちの長男次男、彼氏とで引き取ったらしい。
    同棲はしていたけど、娘はあまりものを持たなかったらしく、
    持ち物は段ボール二つ分もなかった。この家にはそれすらも置いてやるスペースはないのか?
    と長男にも言われた。

    娘は3月にタヒんだから、仏壇は一応家にあるし、坊さんを呼んだりしなきゃならなくて
    3月は本当に憂鬱。

    ※おーぷんの4/1は自動的に関西弁と文末にハートマークがつきますので閲覧時は注意。
    本来なら深刻な修羅場話です。

    775 :キチママまとめちゃんねる 2020/04/01(水) 21:22:39 ID:KFj
    前妻はある日突然、ほぼ全財産が入った通帳を持って姿を消した。
    置き手紙には、「大好きなXX君と幸せになるんや」やらなんやらと書かれてあった。
    程無くしてタチの悪い所から多額の金を借りとった事も発覚した。
    建てたばかりの家を売り、義両親からの慰謝料、親兄弟から借りた金を注ぎ込み
    何とか借金は返せたが、ローンは残ったまんまやった。

    残された小さい娘と、狭いアパートでの生活。
    両親は遠方やので頼れず、それでも足腰の弱い義母が孫に当たる娘の難儀を見てくれて、
    俺も部署を変えて仕事量も調節して、何とか大体定時に帰れる様にして、娘を育てとった。
    娘も小学校に上がり、僅かながら貯金も出来て、何とか生活が落ち着いた頃、娘が学校から帰って来なかった。
    学校の学童に連絡すると、母であるちう女性.が迎えに来たさかいそのまんま引き渡したちうわ。
    パニックになっとった所で、前妻から連絡があり、娘を迎える準備が整ったさかい迎えてにきて上げた、
    これから○○はわい達と仲良くくらす、今までご苦労さまと言われた。
    警察にも通報したが、家族間のトラブルやので民事不介入だと相手にしてもらえなかった。
    そのまんま娘とは、二度と会えなかった。

    前妻と何度か会って交渉し、裁判も起こしたが、親権を取る事は出来なかった。
    離婚は何とか成立させたが、慰謝料は未払いと認定された婚姻費用と相杀殳された。
    養育費を一括で支払う事を条件に、月1回の面会を約束させたが、
    養育費を支払った直後に前妻一家は娘ごともっかい行方をくらたんや。
    俺に残ったのは、家のローンと養育費を用意する為にした借金だけやった。

    義両親は、終の棲家だちう家を売り、営んでいた事務所も整理し、俺のローンと借金を支払った。
    子の不始末はわい達にさせてくれといって、断ったが頑として譲って貰えなかった。
    程なくして義母が亡くなり、後を追う様に義父も無くなりよった。
    週に1度は顔を見せる様にはしとったが、最期は孤独タヒに近い形で亡くなっとった。
    義両親は地元の人達に慕われており、彼らをタヒに追いやった悪魔として周囲からは阻害され
    同じ地元の会社からも、解雇に近い形で自主退職を強要された。

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