キチママまとめちゃんねる

当ブログは2ちゃんねるの生活板を中心に鬼女、気団、浮気・不倫、復讐、修羅場など、生活に関するトラブルをまとめているブログです。

    懺悔

    158 :キチママまとめちゃんねる 2008/04/18(金) 22:13:52 0
    俺がだいたい高2の時のことなんだけど、
    両親が離婚寸前の大喧嘩をした。
    喧嘩自体はそれほど珍しいことではなくて、
    いつも似たような内容のことを言い合って、次の日には元に戻ってた。
    でも息子としては両親が喧嘩していることが嫌だった。
    それでつい、口をだしちゃったんだ。母親に「言ってることがおかしい」って。
    そしたら、母親が食器棚にある食器をめちゃくちゃに割り始めた。
    何で私が悪いのよ!的なことを言って。
    母親のあんな取り乱した姿、初めて見た。
    明日になれば、いつも通りって少し期待してたけど、
    何日も杀殳伐とした雰囲気が続いた。親父から滅多にしないタバコの臭いがした。
    しばらくしたある日、母親に「離婚するかもしれない」と言われた。
    あぁ、もうこの家は終わりなんだ、と思った。

    17 :キチママまとめちゃんねる 2004/05/09(日) 01:00:00 ID:4hrZxYVK
    もう何年も前の話。

    結婚して2年ぐらいだった。夫は優しい人で、いつも明るく、私を笑わせてくれていた。
    とても好きだったんだけれど、おっとりした人で、神経質な私をいらいらさせることもあった。
    でも夫は、仕事のことで不機嫌になり、なにも悪くない夫のことを私が邪険に取り扱っているときでも、
    いつも私のことを気遣ってくれる人だった。私が体調悪いときは、仕事を途中で抜け出して帰宅し、
    その後仕事に戻って徹夜するような、自分がどんなに無理しても私の面倒を見てくれる人だった。

    夫婦の家事分担は、私も仕事を持っていたので、食事・洗濯等は私がやる代わりに、使用した食器の
    洗浄は夫の担当ということになっていた。
    当時夫は、連日日が替わってから家に帰るほどの激務が,2ヶ月も続いていた。
    でも文句も言わず、深夜私が寝付いた後に帰宅して、私が用意しておいた食事を食べ、
    夜中に私の分も含めてちゃんと食器を洗ってくれていた。


    688 :キチママまとめちゃんねる 2020/01/08(水) 12:19:40 ID:D0e
    四捨五入したら五十になる歳になってしまったので懺悔。
    新潟の中でもさらにド田舎の、住所に「大字」と付く実家で二十四歳まで暮らした。
    ベビーブームだったので、ド田舎でもそれなりに同年代の子供たちは周囲にいて、お隣(と言っても徒歩二分)は親のイトコの家。
    その家には二歳上の息子がいて、なんでか私はその子と将来結婚することが決まっていた。
    親は悪人ではないけど「お前はこういう生き方をするものだ」と決め付けてきて疑わない人。
    親の計画では私は「高校卒業後は短大に行って、市の公務員試験を受けて市役所勤務して、二十五歳になったらお隣のヒロちゃんと結婚して子供を三人産む」ことになってた。
    ちなみに弟は「いい大学に行け。その後は好きにすればいい」だった。

    親の言うことさえ聞いていれば叱られないし楽だったこともあって、私はボーっと親の言いなりの子に育った。
    親の言うがままに勉強して、親が言うまま本来の偏差値より低い高校(家から一番近かった)に入学して、ヒロちゃんと付き合った。
    ヒロちゃんを好きだと思ったことはなかった。
    私のことを完全にナメていて、ちょっとでも私が気に入らないことをすると両家の両親に言いつけた。
    私は両家の両親に「なぜヤらせないんだ」というようなことまで叱られた。ボーっとした私もさすがに屈辱だった。
    でも叱られたり叩かれたりするのがいやで、結局言いなりになってしまった。
    親の口癖は「おまえみたいな世間知らずは、ここでしか生きていけない」
    子供の頃からずーーーーーっと言われ続けていたので、完全に洗脳状態で「ここでしか生きていけないんだな、仕方ないな」と思っていた。

    短大卒業後、市職員の試験に合格。市役所の税務課で働いた。
    税務課の「土地・家屋」部門はなぜか男性.が九割で、歓迎会や納涼会などで初めて男性.と一緒にお酒を飲んだ。
    ヒロちゃんといる時はヒロちゃんだけが飲んで、私はお酌をするだけで飲まないものとされていた。
    私は断りきれずに二杯ほど飲み、親に怒られると思いながら帰ったら
    「付き合いだからそういう場では飲むのが当然。断るのは相手の顔をつぶす」と言われ叱られなかった。
    それを機に、私は同僚にお酒に誘われるたび断らずに参加した。居酒屋だけじゃなく、バーやスナックにも連れていってもらった。
    スナックにはきれいな女性.がいて、ほえ~っとなった。
    勿論そういうきれいな人がいるのは知ってたけど、至近距離で見たのと「自分と同じ人間だ」と認識したのが初だった。
    「肌がきれい」とホステスさんに誉められて、まあ他に誉めるとこなかったんだろうけど、人に容姿を誉められたのが初めてで更にほえ~っとなった。
    親は私をかわいいともブスとも言ったことがなかった。
    ヒロちゃんは私をブスだババアだ(二歳下なのに)、我慢してやってるんだと言うだけだった。
    私は親に内緒で毎日一時間だけ、スナックで一杯飲んでから帰るようになった。
    自分がしゃべるよりホステスさんたちの話を聞くのが好きで、「聞き上手だ」と可愛がってもらえ、御代もしばしばホステスさんの奢りにしてもらった。
    ホステスさんの大半が今で言うシングルマザーで、旅館の住み込み仲居の経験がある人が多く、「どこの旅館がいい」「あそこは最低」と聞かされた。

    424 :キチママまとめちゃんねる 2010/02/03(水) 18:24:18 ID:taMF5ux+0
    10代の頃産んだ子供がこの世にいる。育てられないけどおろせなくて臨月まで
    母親に隠していた。その後産んだけど手放した。一度も会ってない。
    三十歳で普通に結婚したけど母以外誰も知らないので夫に隠してる。
    普通に落ち着いた主婦をしてるけど夫との子供が出来ない事に焦燥感と後悔の念が。
    多分二度と妊娠出来ないんだろうなと思うけど。

    359 :キチママまとめちゃんねる 2015/02/05(木) 03:50:50 ID:syQ
    違う県に出張中の夫から連絡がきて、拾ったお金でカラオケ行ったって懺悔された。
    状況を聞いたら、駅でネ果のお札数千円分を見つけて駅員さんに届けたら「現金は受け取れない」と断られてしまい、
    一緒にいた同期が「じゃあカラオケで使おう!」と提案したという流れらしかった
    交番は歩いて30分かかる所にあるということ、タクシーで行くにもお金がかかるということ等事情があったということを夫は説明してきたが、
    私はその話を聞いてものすごく嫌な気持ちになってしまい厳しい語調で夫を問い詰めたため夫が怒った。

    「現金を拾ったけれど駅員が預かってくれず今も手元にあって困っている」という言い方なら聞き流せたものを、「拾ったお金でカラオケ行った」と言われたので夫を責めるような言い方になった。
    夫は「じゃあお前が今後落とし物を拾ったら車も使わず歩いて交番に届けて来いよ。絶対車は使わせない」(要約)と言い出して私を責める。
    私は昔財布を紛失した際に、中身を抜かれて隣町の遊戯施設に放棄された経験があったので夫の話に敏感に反応してしまった。
    夫のことは心から愛しているけれどこの話についてはどうしても肯定できない。

    51 :キチママまとめちゃんねる 2015/10/18(日) 10:49:44 ID:kZV
    懺悔。
    気団板の愛してるスレなんかを見て身の程知らずにはっちゃけ、
    いい夫ぶって「一日オレが介護を代わるから、たまには美容院行ってランチでもして来いよ」と嫁に言った。
    親父はまだよかったが、ボケてる祖母が思った以上にひどくて2時間でギブ。
    嫁に電話して帰ってきてもらった。
    帰った嫁に「途中で帰らせるくらいなら嬉しがらせ言うな。貴方の後始末も大変だし二度と代わってやるなんて言うな」とビッシビシに〆られた。
    美容院の荷物置き場に携帯入れてたんだが、あんまりにも鳴るんで美容師が「緊急だ」と気を遣って
    電話を持ってきてくれたらしい。静かな店内にも聞こえるくらいオレがウ〇コウ〇コわめいたんで
    大恥かいたと言っていた。
    以後は身の程を知らない真似はやめた…。かえって迷惑かけると気づいた。
    おとなしく会社と家を往復してATMしてます。

    421 :キチママまとめちゃんねる 2019/10/02(水) 14:39:54 ID:bCn
    四十年以上前の話。
    懺悔です。
    フェイクは入れない。
    関係者はほぼ鬼籍な上、当時6歳の私の記憶なんてたかが知れてる。

    母が再婚した。
    母の再婚相手Aと私は養子縁組をした。
    Aは893だったので、私は893の養女になった。
    小学生になったばかりの私は、893という職業がどんな物か知らないどころか、その存在すら理解はしていなかったけれど。

    Aは私には優しかったし、家に出入りする若い衆達には「お嬢」と呼ばれて可愛がってもらっていた。
    Aは一緒にお酒を飲んだ人とすぐに兄弟になるという不思議体質で、大量の弟がいて、私には見分けのつかない弟達も皆、優しくしてくれた。

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