キチママまとめちゃんねる

当ブログは2ちゃんねるの生活板を中心に鬼女、気団、浮気・不倫、復讐、修羅場など、生活に関するトラブルをまとめているブログです。

    切断

    900 :キチママまとめちゃんねる 2014/06/11(水) 19:32:35 0.net
    フェイク有り、長文を書くのは初めてなので見辛かったらすみません


    20代の頃に自動車事故に遭い、意識不明の重体で病院に運ばれた。
    暫くは昏睡状態であったが5日ほどで意識は戻った。
    戻ったは良いものの、頭を強く打ったせいで一時的に知的障碍
    になり、周りの人達に散々迷惑をかけたようだ。
    入院してから約1ヶ月後に唐突に覚醒、頭が正常に戻った。
    気付いたら病院のベッドにいるわ片足が無いわで意味がわからなくて、最初は夢かと思った。
    その後に面会に来た家族に事情を聞き、事故に遭ったと知った。
    俺自身も修羅場であったが、それ以上に家族の方が修羅場であったはず。
    医者からは植物状態か頭に障碍が残る、尚且つもう歩けないだろうとも言われたみたいだからな。
    今は劇的に回復し、健常だった頃より不便にはなったが日常生活を難なく過ごせるほどまで良くなった。


    以上です

    900 :キチママまとめちゃんねる 2017/06/22(木) 14:32:05 ID:8Jx
    従兄弟が足を切断して接合手術で元通りにくっついたのが衝撃。
    1年ほどリハビリをしたけど運動機能とかも元に戻った。
    後遺症が残るって叔母がワーワー泣いていたのに。
    接合した痕が夏になると痒くなるのが後遺症と言えば後遺症らしい。
    医学ってとんでもなく進化してるんじゃないだろうか。

    727 :キチママまとめちゃんねる 2016/01/06(水) 21:33:28 ID:rOy
    グロ注意かも?読みにくいと思います。ごめんなさい。

    ちょうど6年前に2つ年下の彼氏がいました。猛アプローチを受けて付き合い始めたのですが、純朴で可愛くて子犬みたいで、何より優しくて誠実で大好きでした。
    ある時、デートをしていたのですが、その帰り道、街灯こそあるものの夜で暗かったためかそこで事故に会いました。
    覚えてるのは、とっさに彼を突き飛ばしたこと。少なくとも私には痛いっていう感覚はありませんでした。
    気がつくと半月くらい経っていて、右足膝下がなくなっていました。彼からは何度も
    私の両親を通じて、
    「そっちに行ってもいい?」
    と聞かれていたのですが、とりあえず
    「来ないで」
    と伝えていました。
    ああ、捨てられるんだろうな。私だって無理だし。仕事もどうしよう。親に迷惑かけるな。親がタヒんだらどうしよう。
    と色々と考えていました。
    結局、事故から一ヶ月経った時に彼に来てもらって、どういう要件だったのかを聞こうと思いました。
    彼にその場で土下座されて、庇って助けてくれたことの感謝と謝罪をされて、
    「良ければ一生一緒にいたいです。支えさせてください。」
    とプロポーズされました。
    彼の両親は反対こそしませんでしたが、私の両親も大反対したそうです。
    しかし、彼が私の両親に土下座して頼み込んで、私の両親も
    「もうこの先私は結婚は無理だろうから」
    と結局許したそうです。
    彼は次男だったので、私の家にお婿に来るという形で結婚しました。しかし、そこから旦那は相当に辛かったと思います。
    父が気を遣うだろうと、家の近くの土地に夫婦2人で住むには困らないくらいの仮住まいのようなものを建ててくれたのですが、それまでは母屋で暮らしていました。
    しかし、特に父や妹とは当初、上手くいかなかったようです。
    (事故のことが原因で)私の妹からとてつもなく敵視されていましたし、私の見ていない所でひどい嫌がらせまでしていたようです(両親は見つける度に強く怒っていたようですが…)。
    また、父も普段は優しく接して(事故の前には既に紹介していて気に入られてはいました)いました。しかし、食事などで長く同じ空間にいると、週に1度くらいの頻度で、突然「ガァッ!」と声を上げて、旦那を毆る蹴るということがしばしばありました。
    母や私の力ではもちろん止められませんし、妹はもちろん静観。旦那も反撃しないので、血だらけになっていることもありました。
    そんな生活だったので、旦那は家では何重もの理由と要因が重なり、借りてきたネコのように怯えて暮らしていましたし、自分から何か声を発すると言うことはほぼありませんでした。常に旦那の味方をしていたのは母くらいだったと思います。
    私も2人の時に、
    「ごめんね。大好きだよ。」
    と毎日のように謝っていました。しかしいつもそういう訳でもなく、義足に慣れるまでは、片方の脚がなくなったことで不自由を感じて耐えられなくなった時には、旦那に獣のように感情的になりながら当たり散らしていました。
    でも、旦那は
    「ごめんなさい。ごめんなさい。」
    と言いながら抱きしめてくれました。
    夜も、旦那が布団の中で泣いているということが多々ありました。
    仮住まいは出来たものの、私1人では不自由する事も多く、私が義足に慣れるまでの二年近くはこのような生活が続きました。

    445 :キチママまとめちゃんねる 2019/09/20(金) 03:29:25 ID:4P.qy.L1
    この前職場で怪我して足首靭帯切れたから足首固定のために、人生初ギプスした。
    初ギプスが思った以上に煩わしく感じてギプスした次の日に医者に相談したら、
    3週間予定だったのを2週間にしてその後はサポーター付けてリハビリしようって事になった。
    で、2週間後に外しに行ったら、そこで治療終了って言われて松葉杖もサポーターもなしで帰らされた。
    足首が全然動かないし、痛みも普通にあるのに「大丈夫、大丈夫」で聞く耳持たず。
    仕方ないから片足引きずりながら帰宅、直ぐに会社に連絡して事の顛末を話し、
    その次の日に痛みが辛くて別の病院行ったらまだ靭帯切れたまんまって言われた。
    会社にその事話したら会社も治療終了ってのがおかしいと思って最初の病院に聞いたんだけど、
    「患者が2週間で外して欲しいと言ったから外した。2週間じゃ治らないからそれ以降はこちらの病院では治療のしようがないから終了にした」って説明された、と。
    そんな事一切聞いてないし、2週間後にサポーターって言ったのは病院側なのに、何故かこちらの責任みたいにされた。
    これって整形外科の病院としては普通の対応?

    959: 名無しの心子知らず 2011/09/08 11:44:26 ID:Kl1+rYPT
            うつ病, 悲しみ, 男, 気の毒です, Utęsknienie

    埋めがてら 
    私がまだ小学校低学年の時にあった事だけど、今でもはっきりと覚えている 
    私の母の妹が、不妊に悩みながらも、子供を授かることが出来た 
    子供は無事に産まれ、皆からも祝福された 
    そして、姪の1歳の誕生日に、親戚一同集まって、お祝いをすることになった 
    そのお祝いの席では、姪はまさにアイドル状態 
    皆から可愛い可愛い言われていた 
    お祝いの席も盛り上がってきたところで、姪が大泣きしだした 
    なんか普通の泣き方じゃないな~と思っていたら、悲鳴が上がった 
    そっちを見ると、姪の手が血だらけになっていた 
    この時点で、自分は別の部屋に連れて行かれ、その後起こった出来事の詳細は分からなかった 
    その後、あの時何があったのかを聞いた 
    親戚の一人のママさんが、姪の左薬指を鋏で切断したとのこと 
    そのママさんは、その前の年に、娘を事故で亡くしていて、「私の娘は幸せになれなかったのに!こいつも幸せになれないようにしてやる!」 
    ということで、婚約指輪をはめる左手の薬指を切断したらしい 
    今思えば、その辺の配慮とかなんでしなかったんだろと思う 
    その後、ママさんは塀の高い病院に入り、その後心筋梗塞で亡くなった 
    姪の左指は結局くっつけることが出来ず、今も無いまま 
    だけど、姪は先週結婚をした 
    お相手は、姪の幼馴染だという好青年 
    結婚式では、指輪の交換は行われなかったが、幸せそうな姪を見ることが出来た 
    末永くお幸せに

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