他界

    493 :キチママまとめちゃんねる 2004/12/12(日) 18:30:29 ID:SAtrbW1A
    もう10年も前の話
    妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
    妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。
    実際私も、妻の面影を追う毎日であった。寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
    そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。
    出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
    2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。

    そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
    “ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
    園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
    こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・

    「まぁ、行くよ♪」 娘だった。
    息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
    一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
    隣に座っていた母がこう言った。

    あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
    正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
    そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
    「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
    「本当はパパだってとってもさみしいの、」
    「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
    「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
    「だから、だいじょうぶだよね?」
    「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」
    そう言っていたのよ。

    287 :キチママまとめちゃんねる 2016/11/10(木) 22:31:39 ID:geO
    小学生の時に両親が離婚
    いったん母親に引き取られたがすぐに母方祖母に預けられ
    仕事を見つけたら迎えにくると言われたものの、母からの音信は間もなく途絶えた
    以来私を育ててくれた祖母は祖父の後妻で母と血の繋がりはなかったが
    「これからは女も仕事を持って自立して生きられなくては」と常々私に言って聞かせ
    パートを掛け持ちして学費を工面し私を大学まで上げてくれた
    しかし大学3年の時にその祖母が急タヒ
    あまりに突然のことで、県外の大学に通っていた私はタヒに目にあうことすらできなかった
    悲しいを通り越して茫然自失のなか、親身になってくれた近所の人たちと葬儀社さんのおかげで何とか一連の葬儀を終えた
    それだけでも人生最大といっていい修羅場だったが
    そのあとがまた大変だった
    私は当時、学生寮に住んでおり
    祖母が暮らしていたアパートは引き払うしかない
    二人部屋(6畳間)に持っていける家財はほとんどなく
    残る家財も処分するしかない
    相続、というほどのものはないにしても預貯金の名義変更など諸々の手続きも必要
    大学は長く休めないし、アパートの立ち退きが遅れればそのぶん家賃も増える
    頼れる親戚もおらず、悲しみに浸る間もなくひたすら奔走した
    そしてそれらが一段落したころ、さらに驚くことがあった
    当時、私は経済的に厳しい学生を対象にした授業料免除を受けていたのだが
    その対象から外されてしまった
    成績が落ちた訳ではなく、祖母のタヒに伴う私の環境の変化が原因だった
    アパートを引き払った私は唯一の住所が寮になったため
    これまで自宅外から通っていることになっていたのが、自宅通学の区分に入ってしまった
    さらに祖母の保険金やらが所得とみなされたことで
    自宅通学生の授業料免除ラインを越えてしまったようだった
    頼るもののない当時の自分にとって祖母の残したお金はまさに生命線
    生活費のためのバイトを増やしたが
    ちょうど学業も多忙になる頃でバイトにも限界があり
    卒業まで持ちこたえられるか覚束なかった
    幸い次の年からは再び免除が受けられたが
    通帳の残額とにらめっこしていたあの頃の不安な気持ちは忘れられない

    このページのトップヘ